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本をつなぐ: 『植木等伝 「わかっちゃいるけど、やめられない!」』と『ことばが劈かれるとき』を発声法でつなぐ

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戸井十月による植木等の評伝『植木等伝 「わかっちゃいるけど、やめられない!」』にこんな一節があります。

〝人の声はみんな頭蓋骨の中で響いているんだけど、人によってその場所が各々違う〟って言うの。〝だから、自分の声が自分の頭蓋骨のどこに響いているのかをちゃんと知っておかなくちゃいけない。それを意識して発声すると、すごくいい声が出るようになる〟なんてこと言うわけ。(戸井『植木等伝 「わかっちゃいるけど、やめられない!」』p.72)
……でもあれは一体何だったのかね。頭蓋骨のどこで自分の声が響いているかなんて、結局分からないもんなー。(戸井『植木等伝 「わかっちゃいるけど、やめられない!」』(p.73)

ピンとこなかったこと、身につかなかったことの伝わってくる話しぶりです。一世を風靡したスターとしての植木等に興味を持つ人にとっても、これではなんだかよくわからないのではないでしょうか。

しかし植木等にとってそうであったとしても、他の人にもそうとはかぎりません。竹内敏晴は『ことばが劈かれるとき』であたらしい発声法を身に着けたときの記憶を高揚とともに記しています。

ララララとこえを出して、「春のうららの隅田川」のメロディーを歌いながら音を高くしてゆき、キーンと頭の上に飛び出るみたいに叫んでみた。頭のなかがビビーッと響いたみたいになって、今まで考えたこともない高い声が一気に出た。これか! これらしい。(竹内『ことばが劈かれるとき』p.145)
これは理論的に言えば、上部共鳴の技術を私が獲得したこと、である。だが、それは激烈で、一気に自己を超えてゆく集中力とエネルギーを要求し、そのことで単に発声法という以上のものを私に教えた。(竹内『ことばが劈かれるとき』p.145-146)

植木の触れた発声法は声楽の、一方竹内の身に着けた発声法は演劇のものなので、両者は厳密には異なるかもしれません。しかし声を響かせるための身体の技法が存在することは認めてよいのではないかと思います。

植木は自らの声をさらに響かせる技法を身に着けずしてテレビ黎明期の時代の寵児となりました。竹内は技法も身に着けながらからだやことばへの洞察を深めていきました。1926年生まれの植木等と1925年生まれの竹内敏晴、ほぼ同い年でありながら交わらなかった二人の生の軌跡を、発声法に対する向きあいかたは象徴しているのかもしれません。

(文中敬称略)

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