気まぐれメモランダム(2008年分)

前年比マイナス5.2パーセント

Q: 何が?
A: 私の体重が。

 ……いやまあ健康診断で量ったんですけどね……別に昨今の景気動向に歩調をあわせたわけではないと思いますが……仕事もとりあえずは落ちついたものの、来年もどうなることやら……(2008-12-17)

CD: TETSU100%『Jack-In-The-Box』

 てつ100%あらためTETSU100%の1988年発表の三枚目のアルバム。
 バンド名の表記も変えた、作詞(サエキけんぞう)やアレンジ(中村哲)に外部の血も導入した、音楽性もジャズ系からファンク寄りに大転換した、あとはブレイクするだけ!というアルバムでしたが……ブレイクしませんでしたねえ。いまあらためて聴くとホーンセクションが入っているせいか米米クラブを思わせるところもあって、音楽的なクオリティで言えば充分勝負になったと思うのですが……やはり二枚目の不在が敗因でしょうか?
 名曲「真夏のサンタクロース」は必聴ですが、個人的には「…かもしれない」が大好きです。(2008-11-24)

(CBS/SONY RECORDS、32DH 5112)

二年七ヶ月で四回故障

 ――の内訳はと言いますと、

――となります。凶悪なことに、修理(というか交換)後三ヶ月以内に同じ現象が発生したなら無償で再交換なのにその範囲や購入時の保障期間には微妙に収まらないのです。さすがに堪忍袋の緒が切れたのでウィルコムのデータ通信カードAX420Nは契約解除とあいなりました。ついでに電話機も機種変更して料金プランも変更して、通信環境はWillcom 03に一本化です。
 ……そのうちそうしようと思っていたとおりにはなったのでいいっちゃあいいんですが、どうも釈然としません。今年はPCも買い換えたのですがそれもPCの突然死のあおりをくらってのことでしたし、うーん、ツキがないときはこんなもんですかねえ。(2008-11-16)

連続出勤記録は18日で途切れました

 この間8時間勤務はほぼなし、ひどいときは帰るのは22:00とか23:00とか24:00とか。もちろん残業時間記録も更新です。
 これがわが身の招いた災いならまだあきらめもつくのですが、まったく責任のない現場にいきなり放りこまれての惨状なわけですから腹立ちはおさまらないのです。

 しかしもっとおそろしいのは私以上の過重労働を強いられている人が何人もいることなのです。(2008-10-04)

 すごいまちがいをしていたので訂正しました。(2008-10-05)

ブーブーいわせたるでぇ

 TENORI-ONやらKAOSSILATORやらDS-10やら新世代のサウンドデバイスが続々登場する今日このごろ(PCで動くソフトでCUBIEなんてのも見つけました)。つい手を出したくなるところをすぐに飽きるに違いない、他にすべきことはいくらでもある、とすっぱい葡萄理論で物欲を抑えこんでやりすごしてきたわけですが、これは買わずにはいられませんでした:

別冊大人の科学マガジン シンセサイザークロニクル

 それでふと時間が空くとブーブーいわせてます。けっこう楽しいんですよ、これが。
 値段が値段なのでパラメータは必要最小限、それも使えそうなレンジがかなりかぎられているのですが、それでもいじくるとダイレクトに音が変化するのが楽しい。コントローラーがコントローラーなので本格的に楽器として利用するには無理がありますが、それでも「千のナイフ」のイントロやらBメロやらがそれなりに弾けちゃったりするのが楽しい。逆に変わったコントローラーのおかげでノイズでしかない音を適当に出しても気にならないところが楽しい。
 そう、どうも普通の楽器と違って演奏しないとっていう気にさせないところがいいらしいです。気楽で。
 まあ結局楽器演奏が身につかなかった私にとってこれくらいがちょうどいいということなのかもしれません。とほほ。

 ……DS-10買おうかなあ……(2008-08-26)

今日からはじめる国家樹立運動、なんて

 題名が目について『軍隊のない国家』(前田朗、日本評論社)という本を読んだ。「私たち反戦平和運動は」なんて表現が早々に出てくるくらいだから内容は推して知るべしで期待していたほどにはおもしろくなかったのだが、それでも自分の国家イメージを豊かにする、というよりは貧弱さに気づかされるのにはおおいに役にたった。
 たとえば樹立の時期。第二次大戦後に多数の植民地が独立を果たしたことはもちろん知識としてあったが、南太平洋の諸国の独立が1980年代に多く達成されていたとは不勉強な私はまったく意識していなかった。他には国土の広さ、というか狭さ。徳之島程度に屋久島程度、奄美大島程度に対馬程度などなど、そんなんで大丈夫?と余計な心配をしたくなるようなところがいくつもある。そして人口。なにしろ出てくる国の半分くらいは数万人程度、ヴァチカン市国の860人は例外にしても次に人口の少ないニウエで2200人。これくらいの人数の組織ならめずらしくもなんともない。
 ここで私の思考は飛躍する。つまり独立などによる国家の樹立は夢物語ではないのである。
 もちろん実際には数えきれないほどの問題や困難があるに違いない。かかわるや前提条件もそれぞれおおいに異なる(南太平洋諸国の多くは現在もイギリス連邦に属している、など)。しかし固有の問題が多々あったにしても、国家樹立という目的においては過去において乗りこえられ達成された実例があるわけだ。であれば、未来にもおいて乗りこえられないと決めてかかる理由はない。たぶんいちばんの基本として、みんながその気になればいいのだ。みんなって誰?という話はとりあえず置いておくにして。
 国家の要件やら経済の自律性やら事前に心配したくなるようなこむずかしい話はいくらでも思いつくだろう。けれどそんなことはとりあえずあとまわしにして、まずはその気になる、その気にさせるところからはじめる手はあるんじゃないか。そんなことを思った読書体験だった。

 ではたとえばどんなところからはじめたらいいか。まずは独立準備委員会という看板を作って表札の横に飾ったりするのはどうだろうか。そういうのが乱立するのはなかなか楽しい光景だという気がする。(2008-08-02)

近況報告

(2008-07-20)

当事者から一言

 四月からビッグイシューを買いはじめた。存在はその前から知っていたし販売員の前を通りがかることも多々あったものの、売りかたはもうすこし工夫できるではないかという気がして購入までは至らなかったのだけれど、ちくま新書の『ルポ最底辺』を読んでこれはシャレにならんと考えをあらため小銭を惜しまないことにした。まあ三百円で何がどうなるわけでもないだろうから自分にとっての気休めである。
 動機がそういう不純なものだから内容には期待していなかったし、いまのところ期待を裏切る記事にも(残念ながら?)出会ってない。特に連載陣の一角が斉藤環氏に雨宮処凛氏と雑誌のイメージにあいすぎているのはいかがなものか。いや、私、どっちもあんまり好きじゃないんですよねえ。
 特に95号の雨宮処凛氏のコラム「主人公になる方法」(「世界の当事者になる」第三十九回)はなんというか嘆息ものだった。ガソリンスタンドユニオン結成に参加した若者の「やっと自分が『当事者』になれたって気持ちです」という言葉を引いた氏は当事者や主人公になんてなれないと思っていた自身の過去を振りかえり、あるとき「私は私の人生の当事者として、主人公として生きるのだ、といきなり決め」る。そうすることで依存したり顔色をうかがったりする生きかたをしなくて済んだのではないかと述懐する氏は最後にガソリンスタンドユニオンのストライキに触れてこう締める――「『当事者』として生きることは、やっぱりめちゃくちゃおもしろい」。
 氏にはまずそれって注目されたいってこととどう違うの?と問いかえしたいが、その点を抜きにしてもこうも無邪気に当事者性を持ちあげられるとなんというか二の句が継げない。そういった当事者性が容易に特権性にすりかわることを氏は理解していないのだろうか? 少数派による当事者性の強調が多数派との関係の断絶にも力を発揮することを氏は意識したことがないのだろうか? そもそも氏はいったい何の「当事者」なのか?
 たしかに当事者意識は出発点としては意義がある。しかしそれはいつかは破らなければならない殻のようなものだ。ある問題をめぐって立場の異なる当事者と当事者でない者が存在するとき、そうした互いの関係が解除されることこそが問題がもっとも解決された状態なのだから。
 当事者であることをただおもしろいなどと言い放てる能天気さについて雨宮氏にはすこし反省して考えてもらいたいものだ……まあなんだかんだと注目されつづけてきた氏にそんなことを期待しても無理だとは思うけど。(2008-06-18)

CD: 黒沢秀樹『Believe』

 黒沢秀樹が1999年に発表した初のソロ・アルバム。
 L⇔R活動休止後にそれぞれのメンバーが出したアルバムはどれも興味深いものだったが、その中からどれか一枚ということであれば本作を挙げたい。
 Dr.Strange Loveの長田進が共同プロデューサーとして名を連ねているせいか、音の感触は同じDr.Strange Loveの根岸孝旨がプロデュースしていた当時のCocco(『クムイウタ』など)に近い――つまり重く、暗い。もともとL⇔Rでもポジティブな曲を補完するような曲が多かった黒沢秀樹だが、このアルバムではその資質を全面展開している。呼応するかのように歌詞も全体に沈んだトーンで、決して聴きやすくもいっしょに口ずさめるようなアルバムでもない。
 しかしCoccoが意識的にか無意識的にかそのヘビーなサウンドを発散の触媒としていた(故に共感の回路が開かれていた)のに対し、黒沢秀樹はそうはしない。むしろそのサウンドを、紡ぎだした内省的な言葉のわずかな支えとするかのようだ。
 その背景にL⇔Rのブレイクに対するとまどいや無理解に対する反発・怒りがあったことは想像に難くない。活動休止後もその余熱は冷めやらなかったということなのだろう。けれども彼は直接的な攻撃としてそれをあらわしたりはしなかった。逆に、己の印象を掘り下げることで逆説的に普遍性にたどりつこうとしたのだと思う。
 そのような試みが多くの人に共有される可能性は、残念ながらきわめて低いと言わざるを得まい。ブレイクしたバンドに在籍した人間としてそれがわからないはずがあるまい。そうでありながらあえて困難な作品作りに誠実に挑戦した黒沢秀樹というミュージシャンは信ずるに値する、そう僕は思う。万人にとってではないが、ある種の人に常に必要とされるたぐいの傑作。(2008-04-09)

(ポニーキャニオン、PCCA-01296)

CD: YMO『TECHNODON』

 再生YMOが1993年にリリースした唯一のスタジオレコーディングアルバム。
 リリース当時の世評はかんばしくなかったように記憶しているが、いまでもときおり聴きかえす。独特の沈んだ感じが素晴らしいと思うのだが、多くの人にはそうは受けとめられなかったということなのだろう。もちろんその沈んだ感じはアルバム制作において音楽的課題がなかったことの裏返しでもある(ユーモアの欠落も同じ理由によるものだろう)。そういう意味では過去のYMOのどの時点とも似ていない孤立した作品になっていて、それが評価されなかったいちばんの理由なのだろう。
 その孤立したたずまいが、たぶん好きなのだと思う。
 個人的な好みを抜きにしても、聴くもの皆を圧倒する大傑作だとまでは云わないが、現在でも一聴に値する作品であると考える。(2008-03-22)

(東芝EMI、TOCT-8010)

怨み骨髄、というわけではないのでしょうが

 眉村卓氏の小説『傾いた地平線』(角川文庫版)を読んでいたらこんな文章が目にとまった:

蓋に飯粒がついていたら必ず食べるのが、ぼくらの世代の特徴だそうだ。食い物の乏しい時代に育った後遺症だとよくいわれるが、事実、このときもぼくは本能的に蓋にくっついた数粒を箸でつまみ、口に入れていた。(p.97-p.98)

 こんな文章が気になるのは以前そっくりな文章を読んだことがあるからである。

腹が減ったらメシを食う、というのは、ごく当たり前のことで、いちいち気にとめられるはずもないことなのだが、ぼくにとっては、そうもいいきれない。例えば弁当箱をひらいて昼食をたべようとしたとしよう。人様はどのような順序でその弁当をたべ出すのかは知らないが、ぼくはまずおもむろに、弁当箱のフタに目をやり、そこにくっついている飯粒をていねいに食べることからはじめるのである。それがすまないうちは、弁当の本体に箸をのばさない。(三橋修「呪縛された身体●『魂の殺害者』(M・シャッツマン)をめぐって」(『社会労働研究』1976.7-8))

 眉村氏は大阪出身、大阪大学経済学部卒後会社勤めを経て小説家。一方三橋氏は東京出身、東京大学文学部卒後会社勤めを経て大学教授……と一見接点はなさそうに見える。が、この二人、前者は1934年生まれ、後者は1936年生まれと生年が二年しか違わないのである。世代体験――というよりはこの場合戦争体験と云ったほうがいいのだろうが、その東西を問わない強固さというものをはからずもこの両者の文章に垣間見たような気分の出来事であった。

 ちなみに眉村氏の掌編「空腹」(『怪しい人びと』(新潮文庫版)所収)の主人公は私にとって三橋氏を連想させずにはいられないのだが、その原因がようやく判明したような気分でもある。(2008-03-03)

本十二冊 + 映画二本 + 企画展ふたつ

 ……が二月の成果。本は一月からの持ち越しもあったし薄いものばっかりなので自慢できるような量ではありませんが、これだけ読むとさすがに達成感がありますです、はい。この調子で昨年の分を取り戻さなければ。(2008-03-03)

CD: 座久拓郎『ひとつめのはじまり』

 座久拓郎のファーストフルアルバム。
 GET HAPPY RECORDSに目立つように置いてあったジャケットはどちらかといえば敬して遠ざけたいたぐいのものだったのだが、次の一文に(不覚にも?)目を引きつけられてしまった:

任天堂ゲームボーイ用シーケンスソフト“nanoloop 1.2”奏者

 ……ナンデスカソレハ?
 この紹介文が頭から離れず逡巡すること数日。結局好奇心が猫を殺して購入。まあ初回特典のリミックスCDRもついてたし。
 早速再生してみると……いいじゃないですか。
 今回いろいろ調べてはじめてCHIPTUNEなる音楽のジャンルを知って、このアルバムもそうカテゴライズされるようだが、たしかにサウンドはゲームボーイの制約を超えてはいないものの、曲自体はそんな事情は無関係とばかりにハードに突っ走っててなかなかかっこいい。DJやらテクノやらのシーンにはまったくうといのだけど、音源を入れかえれば充分通用するのではないだろうか。もしかしたら音源を入れかえなくても。
 個人的にはノイズっぽい音の使いかたが若干単調のような気もするが、それも個性の範疇と言えばそれまで。次作を聴きたくなるアルバムでありました。

 紹介文は次でリンク先で参照可:
http://d.hatena.ne.jp/hitachtronics/20071216/p1

 ちなみにnanoloopというのはドイツで開発されたゲームボーイ用ソフトだそうです。(2008-01-21)

(LOTTI, LOTTI-015)

謹賀新年

Happy New Year

(2008-01-01)


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